感染と予防Webでは、【感染症の学び舎】と題し、マンスリーにて感染症情報をお届けします。
季節(時候)・自治をはじめ、読者の皆様が今もっとも注目する【1つの感染症】をクローズアップし、
その感染症情報と正しい予防知識を専門家の見地より、中野Drに分かりやすくご執筆いただきます。
本ホームページの「専門家コラム」で、創刊166年を数えるイギリスの医学雑誌「British Journal of Medicine(BMJ)」が行った“最も偉大であった医学史上の業績”のインターネット投票について紹介しました。その投票で15候補中4位に選ばれた「ワクチン」について、紹介します。
ワクチンの歴史は、イギリスの医学者エドワード・ジェンナーによる天然痘ワクチン開発(1796年)に始まります。「天然痘」は、古く紀元前から死に至る疫病として、人々に恐れられてきました。図1に天然痘に特徴的な皮膚の発疹を示します。日本でも、江戸時代の死亡原因の第一位は天然痘と言われ、完治しても顔面に醜い瘢痕(あばた)が残るため、「見目定めの病」と忌み嫌われていました。ジェンナーは、天然痘と似てはいるが症状の軽いウシの病気である「牛痘」に感染したことのある人が、その後天然痘に罹らないことに気づきました。そこで、牛痘の水疱からとった膿を健康な少年の腕に植え付けて感染させ、天然痘罹患を防ぐ免疫を付与することに成功しました。これが世界初のワクチンです。病原体をわざわざ体内に侵入させるということは、当時としては衝撃的な発想でした。当初、医学界はワクチンに対して否定的でしたが、時を経て理解されるようになりました。
その約100年後、フランスの細菌学者ルイ・パスツールは狂犬病ワクチンを開発しました(1885年)。ジェンナーのワクチンは自然界に存在するウイルスを用いたものでしたが、パスツールの開発したワクチンはウイルスの毒性を人工的に弱めたものでした。彼の導いた理論は、現在のワクチン研究の基盤となっています。なおパスツールはジェンナーの業績を称え、ラテン語の雌牛を意味するvaccaから「ワクチン」と名づけました。
パスツール理論により応用の道が開かれ、さまざまな感染症に対するワクチンが作られるようになりました。1890年、エミール・ベーリングと北里柴三郎はジフテリアと破傷風の抗毒素血清を開発しました。コレラ、腸チフス、ペストの不活化ワクチンも次々と開発され、不治の病気に打ち勝つ希望が生まれました。そして20世紀には、ジフテリア(1923年)、百日咳(1926年)、麻疹(1963年)、風疹(1969年)、ポリオ(不活化ワクチン1958年、生ワクチン1961年)と次々に新しいワクチンが登場しました。

もしワクチンがなかったら、私たちは今も天然痘の脅威にさらされていたことでしょう。日本では、1976年に天然痘は定期接種としては実施されなくなりましたから、このワクチンを知らない人も多いかもしれません。わが国で天然痘ワクチンを中止して30年が経過しましたが、患者は発生していません。日本だけではなく、天然痘は地球上から姿を消したのです。それは、全世界が団結し、世界保健機関(WHO)リーダーシップのもとで遂行された「天然痘根絶プログラム」の成果です。この根絶プログラムの主戦略は、サーベイランスによる患者発見とワクチンの普及でした。
本プログラムが開始された1967年には、世界中43ヶ国で天然痘が流行し、患者数1000-1500万人、死者200万人であったと推定されています。患者が発生していない国でも、流行国から天然痘が入ってくることを恐れ、予防接種を実施していました。海外旅行者には、予防接種を受けたという接種証明書の携帯が義務付けられていました。天然痘の神性が崇拝されたり、特別な寺院が建立された国もありました。このような状況の中で全世界が一致団結し、感染が疑われる患者の調査と地球の隅々まで行き渡る予防接種を奨励し、1977年のソマリアでの患者発生を最後に、地球上から天然痘が消え去りました。1980年5月、天然痘の世界根絶が宣言されました。
この成功は私たちに、他の感染症に対しても同様の対策プログラムを実施する自信を与えてくれました。現在、世界ポリオ根絶プログラムが進行中です。ポリオについては、1988年のプログラム開始当時は125ヶ国以上の常在流行国があり、1日に1000人以上の子どもが罹っていました。2006年は16ヶ国から1912例のポリオが報告されていますが、世界の大半の地域からはすでに患者が消滅しています。天然痘根絶終盤の状況と、現在のポリオ患者発生地を図2に示しました。感染症制御が困難な地域とは、「貧困」「紛争」「人口密集地」のキーワードが関連しているように感じます。子どもたちの健康を守るため、世界規模で「予防接種拡大計画(EPI:Expanded Programme on Immunization)」が実施され、BCG(結核)・DPT三種混合ワクチン(ジフテリア/百日咳/破傷風)・麻疹・ポリオなどの病気に焦点を絞って、定期的な予防接種が推奨されています。

各種疾患に対する、より有効で副反応の少ないワクチンが、次々と世に出てくることを期待したいものです。貧困や紛争に拘らず、世界のあらゆる国や地域の人々が平等にワクチンを受けることができるようにすることも大切です。注射製剤だけではなく噴霧式ワクチンや皮膚に貼るワクチンパッチ、低温保管しなくても良い耐熱性に優れたワクチンの開発など、製造技術面でも研究が進められています。エイズ、SARS、癌など新しい領域におけるワクチンの開発も行われています。2006年は、子宮頚癌予防ワクチン(ヒトパピローマウイルスのワクチン)が米国で承認されました。
パスツールは狂犬病ワクチンの開発後、世界で最初の医学研究所であるパスツール研究所を開設し、医学研究の重要性を社会に唱えました。この思いは世界に広がり、医学研究所が次々と作られ、疾患予防や治療の研究が行われています。今後も、ワクチン関連分野における知識と技術のさらなる発展が望まれます。