感染と予防Webでは、【感染症の学び舎】と題し、マンスリーにて感染症情報をお届けします。
季節(時候)・自治をはじめ、読者の皆様が今もっとも注目する【1つの感染症】をクローズアップし、
その感染症情報と正しい予防知識を専門家の見地より、中野Drに分かりやすくご執筆いただきます。
抗生物質とは、カビなどの微生物により作られる化学物質ですが、病原細菌の発育を阻止する力を持っています。今や、現代医療の治療薬として、絶対に欠かせない存在です。
1929年、人類にとって初めての抗生物質が発見されました。イギリスの医学者アレキサンダー・フレミングが、ブドウ球菌の培養実験をしている最中のことです。培養皿にたまたまアオカビが発生したのですが、その周囲にだけブドウ球菌が繁殖していないことを発見しました。フレミングはアオカビが産生する物質が細菌を溶かしたと考え、その物質をアオカビの学名にちなんでペニシリンと名づけました。その後、フレミングを初め多くの細菌学者や化学者がこの物質の分離を試みたのですが、成功しませんでした。1940年、ハワード・フローリーやエルンスト・チェーンが、ペニシリンの抽出に成功しました。ロックフェラー財団(米国)や医学研究審議会(英国)のバックアップもあり、臨床における有効性が確認され、薬剤として大量生産も可能となりました。当時は第二次世界大戦の時代でしたが、ペニシリンは戦場で多くの兵士の命を救いました。
フレミングが発見し、フローリー、チェインが実用化の道を開いたペニシリンは、感染症に対する治療法を一変させました。それまで不治の病であった多くの疾患が、治るようになりました。その功績により、彼ら3人は1945年のノーベル医学生理学賞を共同受賞しました。
抗生物質の登場は、結核やペスト、チフス、コレラなどの感染症治療向上に大きく貢献しました。明治から昭和初期にわが国で猛威を揮っていた肺炎、結核、消化管感染症は、戦後になり制御されるようになりました。1935年から1950年まで死因順位の第1位であった結核は、ストレプトマイシンなどが治療に用いられるようになり激減しました(図1)。抗生物質は、食生活や生活環境の改善とともに、人々の平均寿命を大幅に伸ばしたのです。

細菌感染症治療には極めて有効な手段である抗生物質ですが、課題もあります。不適切な使用や濫用は、耐性菌(遺伝子変異などにより薬物に対する抵抗力を獲得し、抗生物質が効かなくなった細菌)の増加に繋がる危険性があります。医療現場で問題となった多剤耐性菌「メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA:Methicillin-resistant Staphylococcus aureus)」のことは、皆さんもよくご存じでしょう。MRSAは1961年、イギリスで最初に見つかりました。アメリカでは1970年代、日本では1980年代になり次々と報告されるようになりました。MRSAは院内感染の原因菌としてトップクラスに位置し、抵抗力の落ちている手術後患者、高齢者、新生児などへの感染が特に問題となっています。従来の抗生物質では殆ど効果がなく、重篤化することもしばしばで、深刻な問題になっています。MRSAへの切り札としてバンコマイシンが開発されましたが、このバンコマイシンに対しても耐性を持つバンコマイシン耐性腸球菌(VRE:Vancomycin-resistant Enterococcus)やバンコマイシン耐性ブドウ球菌(VRSA:Vancomycin-resistant Staphylococcus aureus)が見つかりました。
問題となる耐性菌は、他にもあります。ペニシリン耐性肺炎球菌(PRSP:Penicillin-resistant Streptococcus pneumoniae)は、小児の中耳炎や肺炎、化膿性髄膜炎、高齢者肺炎などで頻度の高い原因菌です。多剤耐性緑膿菌(multiple-drug-resistant Pseudomonas aeruginosa)については、病院での感染死亡事例も報道されています。また医療現場のみならず、抗生物質が食用動物へ使われることによる影響も、世界的に緊急な課題となっています。
ペニシリンの発見に始まる抗生物質は、感染症に苦しむ多くの人々の命を救い、私たちに最も大きな影響を与えた医学的進歩の一つです。年頭の「専門家コラム」で述べたBMJインターネット投票でも、15候補中2位に選ばれました。今月はその内容を中心に紹介しました。では私たちは、与えられたこの強力な武器を、どのように用いるべきなのでしょうか。どのような抗生物質に対しても、耐性菌はいつか絶対に出現することが運命付けられています。そのたびに、新しい抗生物質がまた必要になります。人類と細菌の戦いは“いたちごっこ”で、言葉を変えればこの地球上に共存する運命共同体です。私たちは、耐性菌の発現を少しでも避けることができるよう、必要な場合に、適切な量で抗生物質を使用することが大切です。